「幕張の安打製造機」「幕張の神」と呼ばれる男・福浦和也。
今回は、プロ野球選手として一つの勲章とも言える記録「2000本安打」達成に、後8本と迫った福浦和也について取り上げる。
取り上げると言っても、分析だとか解説だとかは無く、ただただ思い出を振り返る感じの回になるから、それでも構わないよ!って方だけ続きを。
衝撃的だった 突如現れた地元の星
私がその選手を初めて見たのは、小学生の時。
当時、数千円の年会費を払えば小学生の私は無料でマリン自由席に入ることが出来たから、少年野球チームの友達数人と暇さえあれば行っていた。
当時のパ・リーグは、お世辞にも人気があるとは言えず、特に千葉マリンスタジアム(現:ZOZOマリン)なんていつもガラガラ。だから私達のお目当ても、自然と他球団のスター選手となる。
例えば西武の松井稼頭央や鈴木健、ダイエー(現:SB)の城島健司、近鉄のローズ。勿論、ロッテにもジョニーや伊良部、小宮山と好きな選手はいたけれど、その多くは投手であったし、全体的にとにかく地味だと感じていたのを良く覚えている。(それに比べて西武の選手はかっこよかった……主に稼頭央が)
そんな中でも一番盛り上がったのは、オリックスのイチローだろう。
本当に、断トツだった。毎年、首位打者獲っちゃうし、守備は上手い、足も早い……オールスターに出れば投手まで務めて、パワプロではオールA、当時の野球少年の中では一人だけ異次元の存在。
そんなイチローに福浦和也は肩を並べたことがある。
いや、肩を並べたといっても本当に一瞬で、小学生の浅はかな思いではあるのだが、確かにあの瞬間、福浦和也はロッテが、千葉が、地元習志野が生んだ大スターであった。
忘れられない2000年 4月と2001年の首位打者獲得
イチロー、日本最後の年となった2000年、一時4割を超える打率でトップに立っていたのは福浦和也だった。一瞬とは言え、まさかロッテにイチローと張れる選手がいるとは……当時の私には驚きを通り越して信じられない気持ちだったのかもしれない。
今思えば、ロッテに対して非常に失礼な話だが、それくらいイチローは一人抜けていたのだ。
結局、その年、福浦和也の2000年シーズン成績は3割を切ってしまって、イチローがプロ野球歴代2位及びパ・リーグ記録となる.387ととんでもない成績でフィニッシュ。
イチローが海を渡った翌2001年の首位打者を福浦和也は獲得した。(打率.346)
福浦和也が首位打者のタイトルを獲得したのはその一回限りであったが、以後6年間連続で打率3割をマーク。
私が本当の意味でロッテファンとなったのは福浦和也がいたからだろう。そのドラマティックな衝撃もあって、私の中で福浦和也は、いまでもイチローと並んだ唯一の選手となっている。
福浦和也に思うこと
記録のための出場、温情采配など、批判的な意見があることも当然理解している。私だって今シーズンが始まるまでは、2000本安打を願ってはいても厳しいと感じていた。ここまでやったんだ……記録などどうでもいいじゃないか、そんな風に思った時期もある。
それでも1本1本安打を積み重ね、とうとう2000本安打まで後8本。1桁だ。
ここまできてしまえば、批判も温情も些細なことではないだろうか。
批判があろうが、温情であろうが、是が非でも達成してもらいたい。もう少しで届くのだ。
それは25年間ロッテを支え続けたレジェンドへの敬意であり、愛であり、期待である。
幸い、パワーや体力といった肉体的な衰えは見えても、天才的なバットコントロールは健在だ。着実に積み上げてきた数字を確かな記録として球史に刻むその日まで、福浦和也を私は全力で応援したい。
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